ばいおりんたちの学校

大阪市中央区谷町のバイオリン教室

いくつかの短いお話 子犬

 子犬

 

(1999年筆)

Photo_3

 冬になると思い出すのが、昔飼っていた犬のこと。 寒い冬の日に、その犬が死んだからです。 
「面倒なんてみれないんだから、飼っちゃダメ。」と 母に言われ続けていたのに、小学校3年生の私は、どうしても犬がほしくて、内緒で新聞の伝言板に「子犬を譲って下さい」と手紙を出したのです。 早速それを見た人から連絡があり、私は一人で電車に乗って、自宅から1時間もかけて その子犬を見に行きました。

お母さん犬の横に、コロコロした生まれたての子犬が2匹。 「どっちにする?」と言われ、少し小さい方の犬を選びました。 なんて可愛いんだろう、今日からずっと一緒だ。 「こっちの犬にする。」と言って、私はその子犬を連れて一緒に家に帰りました。 母は大層驚いていましたが、私が大事そうに抱いているのを見て、「本当に自分で世話が出来るのね?」と諦めた様子でした。

私はその子犬に「ブク」と名付けました。 小さい頃 親戚から預かっていた「ブク」という犬がとても利口だったので、同じ名前をつけたのです。 私はその子犬といつも一緒でした。 学校から帰るとずっとブクを抱いて、夜中にクンクンと寂しそうに鳴いてると、犬小屋のそばに一晩中いたり。

でも、ブクが子犬だったのは ほんの少しの間だけで、その後あっという間に大きくなりました。 朝と夕方のお散歩はもちろん私の仕事。 でも悲しいかな子供というのは飽きっぽく、あんなに可愛がっていたのに 毎日の世話が面倒になり始めたのです。 朝夕のお散歩が夕方だけになり、その内2日に1度、3日に1度、ついには母が面倒をみるようになって「自分で世話をするって約束したでしょ。」とよく叱られました。

子犬の時のしつけが きちんと出来ていなかったためか、ブクはだんだん言う事をきかなくなり、私の手に負えなくなってきました。 久し振りにブクを連れて外に出ると、首輪がちぎれそうになるほどの勢いで走り出し、私はついて行くだけで必死。 もっと散歩に連れて行ってほしかったのでしょう。

ある時、ブクは餌をやろうとした母の手を噛んでしまったのです。 犬がじゃれて噛むというのはよくあることですが、この時のブクは、歯茎を剥き出しにして、かなり様子が変だったらしく、母の手の傷は何針も縫うほどでした。 この日から、庭で放し飼いにしていたブクは、鎖に繋がれることになったのです。 母も当然ブクにはあまり近づかなくなり、私も怖くて、1日2回の餌を恐る恐るやるようになってしまいました。

3_2

今思うと、ブクは本当に可哀想でした。 子犬の時はあんなに可愛いがっていたのに、飽きたらほったらかし、雄犬だったにもかかわらず お嫁さんを探してあげることもせず、しつけが悪かったのと運動不足で、どんどん凶暴になってしまって、あげくの果てに一番の飼い主である私までが、義務感だけで餌をあげていたのですから。

ある日、たまたま庭に放していたブクが、塀を乗り越えて外に飛び出したことがありました。 餌の時間に勝手に戻って来たのですが、これが実は大変な問題となってしまいました。 翌日になって、ブクが近所の女の子を噛んでいたことが分かったのです。 その子の傷は、以前の母の時よりも更にひどく、母は、ただただ深く頭を下げ、その横で私は泣いてしまいました。 「前はお母さんだったからよかったけど、よそ様の子供さんを傷つけてしまうなんて・・。 お母さんも、これ以上ほっておくわけにいかない。 ブクには可哀想だけど、保健所に連れて行きなさい。」 母もこの一件には、かなりこたえたようでした。 私は、その母の言葉に対して嫌だとは言えず、ただ黙って俯いていました。

それから数日が過ぎ、保健所に連れて行く気配のない私に 母が言いました。「どうするの? 又同じことが起こるかもしれないでしょ。」 いつも少々体調が悪くても学校を休ませてくれない母が、1日学校を休みなさいと言ったのです。

次の日、私はブクを最後の散歩に連れて行きました。 行く先は保健所でした。 どこへ向っているのかも知らないブクは、いつものように 必死に私を引っ張って行きます。 私は、ほしくて仕方なかった子犬を電車に乗ってもらいに行った日のことを思い出していました。 あの時の子犬を 自分の手で保健所に連れて行くことになるなんて。

保健所には、処分される犬達がいる大きな檻があって、私はブクを そこへ入れなければなりません。 凶暴なはずのブクが、この時は妙におとなしく、嫌がる様子も見せずに、その檻の中に入って行きました。 「どうしよう、やっぱり2_1 連れて帰ろうか。」 迷いながらも言い出せず、私とブクの目が合ったまま、その扉は閉められました。

いつも うるさく吠えるブクが、何故あんなに おとなしく檻に入って行ったのだろう。 私のことを不思議そうにじっと見ていたブクの目が、いつまでたっても忘れられない。

一人で帰って来た私を見て、母は「お帰りなさい。」とだけしか言いませんでした。 今でも家にはブクのお墓があります。 庭の隅にブクの首輪を埋め、「ブクのお墓」と私が書いた木片を立てたものです。 その冬一番の寒い日でした。      おわり

 

 

 

 

 

 

(DE6号掲載 1999年12月13日発行)