ばいおりんたちの学校

大阪市中央区谷町のバイオリン教室

いくつかの短いお話 モデル

 モデル

 

(1999年筆)

 

  なりたいものになれる人、なれない人
      望んでなかったのに、なった人
そこには一体、何の違いがあるのだろうか。

 

   コンプレックスが解決されるには、
     どうすればいいのか。
それをコンプレックスと感じさせるのは、
      一体、何なのか。

 

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 一言でモデルといっても、その内容は様々。 ショーモデルに始まり、スチールモデル、ヘアモデル、CMモデル、和装モデル、テレビタレントの類いまで。 何を隠そう、かく言う私も、その一人である。 しかし私の場合、このモデルへの道のりは波瀾に満ちたものだった。 この職業に憧れたのは、今から逆上ること10余年。

赤ちゃんらしくない、細長の体型で生まれた私は、両親、祖父母、そして親戚中が長身という家系だ。 今生きていたら90歳を越える私の祖父は、180センチもあり、村一番の大男だったという。

私にとって背が高いことは、小さい頃からコンプレックスだった。 いつも人より抜き出る頭を気にして、猫背にし膝を曲げて歩いていた。

どういう訳か、小学校の頃というのは、何かにつけ「背の順番」で並ばされるものだ。 常に一番後ろだった私は、毎日がつらかった。 前から順番に二人組になると、私だけ余る。 どこのクラスでも、必ず男の子より女の子の方が多かったので、「フォークダンス」の時は、男の子側にまわらされ、私はいつも女の子と踊っていた。

この話をすると、背の高い私の友達連中は大きく頷く。 先生達からすれば、そんなことは取るに足らない、というより仕方のない事なのだろうけど、子供にとっては、これが大問題なのだ。

小さい頃の私の愚痴は「太っているのは、努力したら痩せられるけど、背はどうしようもない。 絶対低くならない。」だった。 でも、どうしようもないのは、この愚痴をいつも聞かされた母のほうだったかもしれない。

思春期を迎え、ますます成長し続ける私の身長。 一体、どこまでいくのやら、といつも不安だった事を覚えている。

小学校6年生で既に170センチ近くあったが、その勢いは衰えを知らない。 中学校に入り私は剣道部へ入部した。 理由は、頭を竹刀で打たれると背が止まるのでは、と思ったからだ。 今思うと笑える話だが、その頃は真面目にそう考えていた。 しかしその期待は、見事に裏切られた。 高校に入った頃からようやく男の子が、私の身長を追い抜くようになる。 175センチある私を抜いてくれるのは、ほんの一部だったが、見上げて人と話をする事が快感だった。
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猫背に徹していた私が、長身を諦め開き直り出したのは、短大へ入ってからだった。 この頃になって、ようやく素直に受け入れようと思い始めた。 そのきっかけは、鏡に映っている自分の姿を、しっかり見た事だった。 「これはまずい。」 初めて、他人からの目で自分を見た気がする。

それまで親や周りの人に、さんざん姿勢を注意されても、頑なに「猫背主義」を貫いていた私だったが、価値観が変わると、急に自分の醜い姿勢が目に付きだした。 「直そう」と決意。 心が変わると、勝手に直った。

こうして20年近く抱えていた私の悩みは、あっさり解消された。 今までの自分の感覚は、一体何に支配されてたんだろうかと思う。 人の意識の力とは、現象や環境を変化させる。

そして20歳の初夏、私はモデルという職業と出会った。

      

     自分を守るためのガードとは

     一体何から守っているのか。

 

 

背が高い事を気にして、いつも猫背で膝を曲げて歩いていた私。 しかし、この醜い姿勢の方がよっぽど問題だと気づき、徹底して直すようになった。

人の意識とは、現象や環境を変える力がある。 身をもってそれを体験した。 

 

 

MODELへの憧れ
「モデルさんみたいね。」と以前からよく人に言われていたが、コンプレックスのある内は聞こえてこない。 しかし、これが消えた 途端モデルという職業に憧れ始めた。 その時、既に20歳。 今思うとまだ若いが、当時の私には そうは思えなかった。

思い切ってモデル学校へ入学してみたが、周りはほとんど10代で、20歳の私が最年長だった。 そして175センチもある私が、全く目立たない。 更に高い子が何人もいるからで、みんな手足が長く異様に細く、異様にかわいい。 特別美人というわけではなく ただ背が高いだけの私、その頃は体重も今より10キロ近く重かった。 「やっぱり無理かなあ。」 まだ何も始まってない時点で、すっかり弱腰になってしまった。

 

 

誰にでもなれる?!
ここのモデルスクールへ面接に来た時、私はその場で結果が出るものとばかり思っていたのだが、面接担当者は入学申込書だの親の同意書だのいろいろ書類を出してきて、何やら説明をし始めた。 まず、ここのモデルスクールへ入学しなければならない、とのことらしい。 私はその話をさえぎって「あのー、私はモデルになれるんでしょうか?」と聞いてみた。 すると、「モデルになれる要素って、誰にでもあるのよ。 後は本人が努力してそれを磨くかどうか。 だから、レッスンを受けてもらわないと分らないわ。」 「・・・?」 一体何をレッスンするというのだろう。 数ケ月の授業で、突然背が高くなったり奇麗になるわけないのに。 努力次第なんて言わず、この場でさっさと決めてくれたらいいのにと、それを聞いて思った。

 

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MODEL SCHOOL
 3ヶ月のレッスン期間の後に採用テストがあり、合格すれば晴れてプロのモデルとして所属できるというシステム。 何か腑に落ちないものを感じながらも、私は週2回のレッスンへ通うことにした。 カリキュラムはメイク・ウォーキング・ポージング、あと1つ名前を忘れてしまったが私の一番苦手な授業があった。

その内容は、テレビで流れているCMの真似をしたり、アイドルのヒット曲を振りを付けて歌うというもの。 私が憧れていたのは、タレントやCMモデルではなく、長身を活かして ステージをさっそうと歩くファッションモデルだった。 それなのに何故こんな事をしなければならないのか。 そう思いながらやってるので、当然上手く出来るはずはなく、先生や同期生が大勢見ている前で、何回も何回もやらされる。 これが私にとっては更に苦痛だった。

しかし、そんな私の気持ちとは無関係に、レッスンは淡々と進んでいった。

 

 

抜け出せないカラ
 私には厚い壁があって、自分をさらけ出すことがなかなか出来なかったが、そんな殻などあっさりと捨てて真剣に取り組んでいる子もいた。 みんなが見ている前で、聞いている方が恥ずかしくなるようなセリフを言ったり踊ったり歌ったり、 「あんなこと、よくやるなぁ。」と、私は半ばバカにして見ていたものだ。

このレッスンでの課題は、恥・照れといった感情をコントロールし、その場で必要とされているものをいかに演じれるか。 当時の私は「大人っぽい」というキャラクターに憧れ、いつもすまして 人からどう見られるかを異様に気にしていた。 そして、他人に入って来られないようガードを張り、見透すような人は苦手で自分から近づかない。 そんな取り繕ったものは、すぐにバレ、逆に幼稚に見えるというのに。 見透かされない為の 自分を守っているつもりのガードとは 全く逆効果で、むしろガラス張りだ。 何をどう偽ろうとしているのか、人にどう見られたいのかなど 丸見え状態。 更に、新たな自分を発見出来るチャンスをことごとく逃す、というより自ら追い払ってしまうのだから、何ともったいない話だろう。

こうして、全く自分を変えることなく、3ヶ月のレッスン期間は終了した。 そして、プロモデルになれるかどうかの採用テストがやって来たが、結果は惨敗に終わり、不合格・・・。

そのテストの最中に、審査員の先生の「背は高いんだけど、それだけじゃあねぇ。」というヒソヒソ声が聞こえPhoto_11 た。 「ああ落ちたな。」と思ったら、案の定落ちていた。

なりたいはずのモデルなのに「なれないためのガード」を自分で張り、数カ月かけても それを取り外す気にはなれなかったのだ。 別のモデル事務所を もう一度受けようかとも思ったが、何となく日が過ぎていった。

こうして、一見モデルへの憧れは、消えたかのようだったが、面接でマネージャーに言われた言葉がずっと頭にあった。「モデルは誰でもなれる、本人の努力があれば。」 当時の私には、これが本当だとは とても思えなかったというのに。

 

 

2度目のチャンス
 それから何年もたったある時、「ヘアショーのモデルをやってみないか?」と知人から誘われた。 その時すでに20代後半、今頃になってこんな機会がやって来るとは思っていなかったが、バイト料は1万円、私は即OKした。 そして初めてオーディションというものを経験する。

「じゃあ、一人ずつちょっと歩いてみて。」と言われ、そこにいた女の子達が順番にウォーキングする。 素人の彼女達は当然ぎこちなくて、姿勢が悪く膝は曲がり、もちろんターンも まともに出来ない子がほとんどだ。 しかし私は、何年も前にあのモデルスクールで受けたウォーキングレッスンのお陰で、何とか歩けた。 わずか数回のレッスンだったというのに、体は覚えているようだった。 先生も「あれっ、君上手だねえ。」と言ってくれる。

腰まであるストレートヘアで 長身の私は、このオーディションに受かったのだが、私にとっては、歩き方を褒められたことが何より嬉しかった。

 

ヘアーショー
 ヘアショーとは、そのシーズの新しいヘアスタイルの発表会のようなもの。 観客は美容関係者がほとんどで、髪の毛をステージ上で実際にカットする有名美容師の「生」の技術を勉強しにやって来る。 この素材となるのがカットモデルの仕事で、素人のバイトか経験の浅い新人モデルが器用されることが多い。 又、舞台裏であらかじめ入念に作られたヘアスタイルを、披露するステージもある。

つまり、ファッションショーとの違いは、メインが洋服ではなく 美容師の「ウデ」というわけだ。

 

 

美容師の裏ワザ
 本番が始まると、ステージ上に椅子が用意され、私を含むカットモデルが次々に髪の毛を切られていく。 美容師は説明したり、インタビューに応えながら、ロングヘアーで登場したモデルの髪の毛を ほんの数分で作り上げなければならない。 何故こんなことが可能なのか。

一見、髪の毛はロングに見えるが、実は違う。 長いのは表面だけで、その内側の髪は 控え室であらかじめ短くカットされていて、ほぼ仕上がっているのだ。 しかし客席からは当然そこまで見えないので、あっという間に ヘアスタイルが完成したかように見えるというわけだった。

カットモデル全員が出来上がると、一人づつ順番にそのヘアスタイルを観客に見せるため、ステージや客席をウォーキングする。 右手と右足が同時に出てしまう感覚を初めて味わうという 私のモデル初体験は、あっと言う間に終わった。

 

 

つづく

 

 

 

 

(DE5号掲載 1999年11月15日発行)
(DE6号掲載 1999年12月13日発行)