ばいおりんたちの学校

大阪市中央区谷町のバイオリン教室

いくつかの短いお話 パパの旅行記 vol.4

 パパの旅行記 vol.4

 

(1999年筆) 

 

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私のパパは年甲斐もなく元気だ。 これにはいつも驚かされる。

パパは昔から車が大好きで、家族でよくドライブに行った。 でも決して楽しいドライブじゃなかった。 パパは旅行が好きなわけではない。 どれだけ走ったのか記録をつくっていくことが好きだった。

トイレのすごく近いママは、いつも泣かされていた。 パパは走り出したら止まらず、「トイレ行きたい!」とのママの訴えにイヤな顔する。 観光なんてとんでもない。 ただただ走り続けるのだ。 私も妹も平気だったけど、ママはそうじゃなかったみたいだ。 私たちが大きくなってからは、ママはあまり来なくなった。 「だってパパは車をとめてくれない!」 なるほど。

パパはとっても安全運転。 びっくりするほど超ノロノロ安全運転。 高速道路でも絶対速度を守る。 私と妹のナオちゃんは、小さい頃から、ほかの車を追い抜くなんて経験が無い。 私の運転が「荒い!」と言われる所以は、超ノロノロパパの反動かもしれない。

私とナオちゃんの車の中でのゲームがあった。 1分間に何台、ほかの車に抜かれるかを当てっこするゲーム。 まわりの友達がこのゲームを知らない事は、大きくなってからわかった。 追い抜いていく車の「ナンバープレート数字合せゲーム」もあった。 これはパパが発明した。 というより、これも大きくなってから分かった事だけど、どうも麻雀が基本になってたみたいだ。 「『 5・6・9・2  』か。 うーん、これなら2を捨てる!」 私とナオちゃんのドライブ中のゲームは、まだまだある。

パパは旅行から帰ると、地図を開いて、楽しそうに赤ペンで走ったところをマークする。「今回はすごい。1日当り○○キロも走ったぞ!」 計算してるパパは、とっても嬉しそうだった。 そしてママは、もう2度と行かないと決意する。 パパにとっての楽しい旅と、ママにとっての楽しい旅は、ずいぶん食い違ってたようだ。

パパの若い頃は、車の免許を取ると、同時にバイクの免許も取れたらしい。 パパはバイクも大好きだったけど、会社が忙しくなってあまり乗らなくなった。 忘れんぼうのパパは、何でもよく忘れる。 一度、免許の更新を忘れて無効にしてしまったことがあった。 教習所に通って、もう一度取り直したけど、その頃はもう、バイクの免許はついてなかった。 悔しいパパは「いつか又バイクに乗るぞ!」と心に決めて計画を立てた。

60歳も近くなって まさかと思ってたけど、パパは真剣だった。 自動車学校は高齢を理由に、どこも引き受けてくれず、パパは仕方なく飛び込みで試験を受けることになった。

大型バイクの免許は、なかなか受からない。 週水曜日になると、家からすごく遠い免許所へ、何度も試験を受けに行った。 そして60歳にして、パパはついに免許がもらえたのだ。 異例の年令でパスして、試験所の先生もすごく喜んでくれたらしい。

ここから、パパの「バイク旅行人生」が始まる。 うちのパパには「 家で盆栽 」とか「 俳句 」とか、そんな普通の静かな老後はないのだろうか。 ママは、もうどうでもいいらしい。       

 

つづく

 

 

 

(DE4号掲載 1999年10月18日発行)