ばいおりんたちの学校

大阪市中央区谷町のバイオリン教室

いくつかの短いお話 響の祭1

 響の祭1

 

(1999年筆)

いよいよ『 響の祭 』まで残すところ1ケ月 
「福祉の一大ムーブメントをおこしたい!」その願いのもと、この祭の企画は進む。 祭の収益金の一部は、トルコ・台湾地震への援助金としてチャリティ-することになった。

今の日本の福祉が抱える問題とは何か? 「健常者は与え手側・障害者は受け手側」と考えられがちであPhoto_19 った。 それならば、障害を持つ人達が様々な分野の福祉に対して支援活動をすることによって、両者のバリアフリ-が実現するのではないないだろうか。 こうして『響の祭』黎明編がスタートすることになる。

ところが、これに着手したのは本番の2ケ月前。 はたして 1000人を越えるホールで成功できるのだろうか。 連日連夜、動き続けてもまだ足りない人手不足のスタッフ陣。 必死の試みを繰り広げる彼らの姿を緊急レポートする。

 

 

 

 

 

うまくいかない横のつながり
 準備を進めて行く上で、どうもうまくいかないのが、各団体の横のつながりである。 「これは奈良の土地柄・人柄だろうか」と、片付けたくなるほど、先へうまく進まない。 「福祉施設にしても、コーラス団体にしても、業種が同じで日々同じ問題を抱え解決を試みている同業者であれば、どんどん輪が広がっていくのでは」との予想だったが、これがそうも簡単にはいかない。 「コンセプトが良いのは分かるけど、あそこの団体とは付き合いが無いので・・」と、ブツギレ状態であった。 そのため、お願いに上がる協力団体の数だけ、毎回毎回、同じアクションを起こさなければならない。 これには予想以上の時間と手間がかかった。 あげくの果てには「あの団体に先に声がかかってる、という事が気に入らない。」そう言われる始末。 『バリアフリー』のコンセプトを掲げてはいるというのに、実は、それ以前の問題かもしれない。 人手不足や経済難、原因は多々あるだろうが、結局のところは、日々の雑務に追われて、新しい事、外へ向かう事は難しいようである。




 

 

 

苦しい台所事情
 1000人規模のチャリティーコンサートを開催するにあたり、準備期間が事実上2ケ月しかなかった。 これに関しては「プロでもかなり難しい」というのが、まわりの意見だった。
何が難しいのか、まず資金面があげられる。 公的機関の助成金の申請は1年以上前のため、話にならないが、 各企業に協賛金のお願いに上がる計画も、なにせ2ケ月をきっているので、正面からまともに というのも不可能である。 その時点から後援を申請して、最終的に8団体から承認が頂けたことの方が、むしろ奇跡的であったかもしれない。 実績の全く無い このイベントにをすすめPhoto_21 るにあたって、この8団体後援の承認は、予想以上に有り難いものだった。 

この時期からお金を集めに回るのは、事実上不可能だった。 企画書、チラシ、チケット作成、宣伝、広告、オーケストラとコーラスの出演者集め。 お金のかかることばかり。 何よりもチケットを販売して1000人席をガラガラにすることは絶対に避けなければならない。 しかし10人足らずのスタッフでやれることには限界がある。




 

 

 

福祉施設のチケットぴあ化
 通常、コンサートのチケットは、ホールかチケット販売店で扱ってるものだ。 この響の祭では、福祉施設でのみチケットを取り扱う ということを試みた。 福祉施設と一言でいっても精神、肢体、聴覚、視覚等、規模も数人程度のところから 100人以上の大所帯の施設まで様々である。 それらの施設に わざわざ出向いてチケットを購入することで、普段かかわりをもっていない人々に、知ってもらうのが目的である。 更に1枚販売するごとに、その手数料が施設の収入になるという仕組み。 つまり自分の応援したい施設があれば、そこでチケットを購入すればいいということになるのだ。 これはおそらく今までに無いシステムだろう。




 

 

 

難航する出演者集め
 一般公募のオーケストラ&コーラスの共演を企画したのは、出演者の関係で来場者が増えることを見込んでの策であった。 各オーケストラ&コーラス団体への出演依頼を開始する。 11月は音楽関係の催しが多く、どこの団体も忙しく、のきなみ断られる。 「翌日がコンサートの本番なので、その前夜に出演するのは難しい。」 もっともな話である。 また難航。 結局、全メンバーが決定したのは、本番の1週間前だった。 当初の目標「オーケストラ60名、コーラス60名」には及ばず、「オーケストラ56名(それでもよく集まった方だ)コーラス20名」という結果だった。 というわけで、当日ギリギリまで、コーラス出演者を募ることとなったのだ。

(DE4号掲載 1999年10月18日発行)